CONTENTS 
|第一巻の編集を終えて| |第一巻について| |第二巻の編集を終えて| |第三巻の編集を終えて| 
|第四巻の編集を終えて| |第五巻の編集を終えて|  |第六巻の編集を終えて| |今後の刊行予定について| 
|第七巻の編集を終えて| |刊行委員会連絡先|


第一巻の編集を終えて

 山岸会創設五〇周年を期して、昨(二〇〇三)年五月、山岸会全国集会が開催された。そのときに、山岸巳代蔵の著作を何とか形にして世に発表し、広く全世界の幸福を希求する人々の研究材料として提供できないだろうか、という話がもちあがった。思えばそれが、「山岸巳代蔵全集刊行委員会」の始まりだった。
その話が、具体化したのが昨年九月のことだった。
 はじめての会合がもたれたとき、「第一巻を来年の五月に出そう」という話で一致した。何しろ、山岸会の創設期を実際に体験されている人には、亡くなられている方も多い。生前の山岸巳代蔵を直接知る人も、年齢を重ねられている方が多く、時を経るにしたがって、貴重な証言を得る機会が少なくなっていくのである。
 刊行委員会の仕事は、そういった方々への取材や確認に基づいて、さまざまな著作や資料の蒐集・確認・整理をしながら、それと並行して、整理されたものを順次刊行していくということになった。そして、それには、第一巻をできるだけ早く形にし、刊行の趣旨を知ってもらうことが肝要であると考えた。当初思っていたよりもはるかに手のかかる作業だったが、幸いなことに多くの方々の協力を得ることができ、第一巻を出せるところまでこぎつけることができた。
 山岸巳代蔵の著作の中には、これまでに何らかの形で発表されたものも多い。しかし、半世紀も前の掲載誌を保管されている方は少なく、写し間違いや誤植もある。編集過程で変わっていると見受けられる文面もある。元の原稿がないものがほとんどなので、どのように整理し、訂正を加えたらよいか、判然としないところもあった。判断がつきかねて、その旨を註として記した箇所もある。
 山岸巳代蔵著と思われるが、確実な根拠もなく、どうとも判定できない文章もあった。できるだけ確実を期したいが、収録されないことによってそれらが日の目を見ないのは惜しいという意見も多く、山岸の著作である可能性が高いと思われるものに関しては、参考資料扱いにして収録することにした。
 編集にあたっては、著作そのものの中から真意を汲み取り、思想を研究できるように、原文の流れを損なわないことを第一とした。その範囲内で、読みやすさを図るため、漢字や仮名遣いなどは、できるだけ現代の表記に改めた。また、意味が通りにくいと思われるところでは、句点や読点の位置などを修正した。さらに、時代や社会的な背景をある程度つかめるように、註釈をつけたり、年譜を作成したりすると同時に、同時代の資料をいくつか収録した。
 それらを一つ一つ検討したり、事実の確認をしたりしながら、この刊行委員会で集約した見解によって編集を行った。検討の足りない部分もあると思うし、間違いの含まれている可能性も否めない。もし間違いがあればご指摘いただき、正しい情報があれば、ぜひ刊行委員会までお寄せいただきたい。それらの意見をきいて、さらに検討を加え、正しさを期していきたい。具体的には、このホームページにて、新たに分かった事実や、訂正を随時掲載することで、補完していく所存である。


第一巻について

 この巻には、一九五三年(昭和二八)から一九五四年(昭和二九)九月までに、山岸巳代蔵が発表した著作を中心に収録した。
山岸巳代蔵の思想は、養鶏や農業にとどまるものでなく、人間の幸福や社会のあり方の理想を追求し実現しようとするものであろう。しかし、戦時下という時代の制約もあって、山岸は当初、自分の思想を鶏に適用して山岸式養鶏法を組み立てた。それが非常に画期的な省力養鶏で、短期間に効果のあがったこともあって、山岸の思想本体そのものよりも、その具現体の一つである「山岸養鶏」が戦後の農村を中心に急速に広まった。そうした関係上、特に初期の著作は、養鶏に関連したものが大半である。山岸自身の思惑としては、山岸式養鶏法の断片的な技術のみが広まり、それを中途半端に取り入れて、一時的には経済的成功を収めても、結局は失敗に終ることを懸念し、山岸式養鶏法の精神・経営・技術をも含めた総体を何とか多くの人に伝えようとしたようである。
 本巻冒頭に収録の、『山岸会養鶏法』は、こうした背景で一九五四年二月に出版された、山岸最初のまとまった著書である。それと前後して、篤農家の集まりである「全国愛農会」により山岸式養鶏法が紹介され、その発行誌である『愛農養鶏』に山岸の文章が連載された。また、農村への農業技術普及や精神運動を展開していた「愛善みずほ会」発行の『みづほ日本』にも連載の場が提供された。いずれも養鶏にまつわる著述であるが、山岸の思想が色濃く反映したものとなっている。
 さらに、同年四月には、山岸式養鶏会の機関誌『山岸式養鶏会会報』が創刊され、「獣性より真の人間性へ」を発表。九月発行の会報二号では「獣性より真の人間性へ(二)」「会の性格と運営について」など、山岸の思想を直接綴った文章も次第に発表するようになる。
  山岸が養鶏に関わったのは約二十年に及ぶが、心身ともに養鶏に打ち込んだのは、その間わずか二年に過ぎなかったという。山岸の本業は、一貫して、真理及び理想社会の探究、そしてその実現のための知的革命の理念と方法の模索であった。このことは、巻を追うごとに理解を得られると思う。


第二巻の編集を終えて

  山岸巳代蔵全集第一巻は今年の五月に刊行し、五月三日の幸福会ヤマギシ会会員集会において、全国の会員の前に発表することができた。
 第一巻の内容は、養鶏という、一般にはなじみの薄い事柄に関する記述が多いので、どの程度受け入れられるかという懸念もあった。だが、山岸式養鶏に関する著作は、これまでほとんど世に知られておらず、それを公開することは、山岸巳代蔵の思想を理解する上で欠かせないという意見を多数の方よりいただくことができた。また、ヤマギシズムに関心を持つ学者の方々より、「ヤマギシズムとは何か」と探究していく上でこの全集刊行の仕事は必要不可欠なものであるから、ぜひ完成させてほしいという励ましの声もいただいた。
中には、翻訳を進めてほしいとか、もっと多くの人に読んでもらえるよう文庫化してはどうかなどの提案も寄せられた。ポルトガル語への翻訳を担当したいと申し出る人も現れた。もとより、この全集は全世界に向けて発信するものであるから、そういった提案は非常にありがたく、今後の発刊活動の指針の一つとさせていただき、実現をはかっていきたいと考えている。
  また、編集作業中に、これまで人の目に触れることのなかった新たな資料が相当数見つかり、その整理も並行して進めていくこととなった。口述記録が多く、当時その口述筆記を担当した刊行委員の奥村通哉に確認しながら進めており、そうした諸記録類を全集の第五巻以後に収録できると思う。
 編集作業は、それぞれが他に仕事を抱えての作業にもかかわらず、なんとか計画通りに進めてこられた。第一巻において確認不足からの誤植や訂正事項もいくつかあり、できるだけ、そういったことはなくしていきたいと考えている。至らぬ点や、誤りに関しては、訂正していく所存であり、忌憚ないご意見やご指摘を今後とも賜りたい。正誤訂正については、各巻において前巻までの誤りを訂正するとともに、ホームページに随時掲載していく予定である。


第三巻の編集を終えて 

 山岸巳代蔵全集第一巻を刊行して、はや一年になる。
 この間、編集作業と同時並行で、山岸会初期からこの運動にかかわってきた人々への取材や、生前の山岸巳代蔵を直接知る人々に資料の提供をお願いするといった活動も行ってきた。
 その結果、当時の時代背景をかなり確認することが出来、多くの未発表資料を集めることも出来た。編集に携わる自分たちも初めて見るような資料も多く、この全集の編集作業は当初考えていたよりもかなり多くの資料を扱うことになった。これらの資料の中には、草稿段階のものや、口述筆記によるものも多いので、発表できる形にするまでには、まだまだかなりの確認・整理作業を必要としそうである。多くの方々から寄せられる協力や、励ましの言葉に応えて、なんとか完結させていきたい。
 さて、この第三巻に収録した著作や資料の成立した時代は、「特講」の拡大、「一体経営」の試み、「百万羽科学工業養鶏」建設、「急進拡大運動」といった様々な活気あふれる動きに満ちている。また一方で、「山岸会事件」が起るなど、山岸会初期における激動の時代とも言えよう。
 しかし現在では、その当時のことを知る人は非常に少なく、山岸会会員でも、正確な背景知識を持っている人はほとんどいない。
 例えば、「百万羽」構想とは具体的にどのような構想を指していたのだろうか。その本当の目的は何だったのだろうか。なぜ、当時の山岸会会員たちの多くが、自分の家や財産を売り払ってまで、その活動に『参画』していったのだろうか。また、「山岸会事件」とはどういう『事件』だったのだろうか。特に、山岸会事件については、事実関係すら明瞭に把握されていないことが多く、それがかえって様々な憶測を呼ぶ原因となり、その真相や本質を非常にわかりにくくしているようだ。
 こうした『目に見える』動きは、どのような目的をもって、どのような背景で展開されていったのだろうか。その本質にあるものはいったい何だったのだろうか。
 ヤマギシズムなり、山岸巳代蔵の思想を研究し、理解しようとする場合、その著作として文字や言葉で表現されたもの以外にも、こうした山岸会や、山岸会員の活動や、その活動の総体となって現れた運動も、十分に研究する必要があるであろう。
 もちろん、この全集刊行の目的は、あくまで山岸巳代蔵の著作物や口述記録といった資料によって、ヤマギシズムとは何かを探っていく材料を提供することにあり、ヤマギシズム運動そのものに対する研究がその任ではない。ただ、この巻に収録された山岸巳代蔵の著作や記録には、「百万羽」構想と「山岸会事件」に直接的、あるいは間接的に関連したものが多数含まれる。そこで、当時の時代背景や事実関係を整理して、山岸の言わんとするところの理解を助けるため、刊行委員会のメンバーが作成した『試論』を二編、巻末に収録した。
 また、この巻の参考資料としては、『木下雅巳手記』も収録した。一人の青年会員が、特講を受け、その後百万羽へと参画していく過程や心境を綴ったものであり、当時の山岸会活動の息吹の感じとれる、貴重な資料である。


第四巻の編集を終えて 

 山岸巳代蔵全集は、順調に年二回のペースで刊行することが出来た。
 しかも嬉しいことに、山岸巳代蔵と生前関わりある人々から貴重な資料がこの間続々と寄せられてきている。本巻冒頭に収録されている『ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況』なども、最近口述筆記の原本が見つかったものであるし、『一体生活について』、『聴く態度について―夫婦のあり方』など、山岸作と伝えられてはいたが、原本が見つかっていなかったものも、今回原本を寄せていただくことが出来た。やはり「山岸巳代蔵全集刊行委員会」という一つの受け皿が整いつつあるからなのだろうか。こうしたみんなで守り育てていこうとする心からの動きを、まずは一番にお礼かたがたご報告申し上げたいと思う。
 さて、第四巻は、一九五三年三月に「山岸会」が京都府向日町に発足してから、一九六一年五月、岡山県興除村において山岸巳代蔵が逝去するまでの、年代順に編集してきた山岸の著述や記録の最後の部分にあたる。
 思えば、「山岸会」発足から約八年という短い歳月の中で、一人から始まったヤマギシズム運動が日本全国に急速に拡がり、ヤマギシズムに共鳴した一人一人の活動が作り上げていったものを改めて振り返ってみると、その拡がりと深まりには驚嘆の念を禁じえない。そこには、人の心を打つ本質的な何かが含まれていたからには違いないだろうが、やはり方法の面においても相当に考え抜かれたものがあったからではなかろうか。
 ヤマギシズムは、単なる思想や社会構想にとどまらず、その実現方法を伴った思想であるという点で、非常に独特のものがあると思う。幸福研鑽会、特別講習研鑽会など、様々な方法が打ち出され、運動の原動力となってきたが、その最たるものが、本巻で採り上げた「ヤマギシズムの実顕地」であり、「試験場」「研鑽学校」であろう。
 実際、保守的と言われた日本の農村に、無所有・一体の「金の要らない楽しい村」が一年にも満たない期間のうちに、十ヵ所ほども誕生したのである。それは、いくら理念を説き、研鑽を重ねても、どうも分からない、通じないという人にも、目に見える形で本物を示して、「ああ、これだったのか」と誰もがじかに触れて分かる、生き方の提案であった。「金の要らない楽しい村」をこの地上の一角に一点打ち立てることで、それを見、聞き、伝えた世界中の科学者達の研究課題になり、人間の本質、社会のあり方などについて関心を寄せられる人々の注目が集まり、実行家が続出する姿が、そしてその先のことも、山岸には見えていたことであろう。
 山岸の死後もヤマギシズム社会構想は受け継がれていったのだが、天がいま少し山岸に余命を与えていたら……。
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 さて、山岸の死をもって全集の仕事もひと段落、というわけにはいかない。冒頭に触れたように、刊行委員会発足後に見つかったり、寄せられた未整理の資料がかなりの量にのぼっているのである。この後は「ヤマギシズム理念研鑽会」などの研鑽会記録や「正解ヤマギシズム全輯」の草稿や、私信などの未発表・未整理資料を、確認・整理作業を終えたものから順次刊行していくという作業が待っている。


第五巻の編集を終えて 

第五巻は、九回にわたって行われた「ヤマギシズム理念徹底研鑽会(「理念研」)」の記録のうち、一九六〇年七月から九月までの四回分を編集・収録した。次に予定する第六巻と併せて、「理念研」全体を収録することになる。
 これまで、この「理念研」の記録は、その一部が、ヤマギシズム生活実顕地の内部の研鑽資料として発表されたことはある。しかし、山岸以外の参加者の発言を含めてすべてを公開するのは、これが初めてである。それも、当時の口述記録の原本と、口述記録をした奥村通哉本人の確認という、この上ない条件の下に編集することが出来た。この口述記録原本は、長い間行方が分からず、わずかに、それを筆写したノートをもとに、実顕地内の研鑽資料も作られていた。それが、この全集刊行を機に、貴重な原本が見つかったのである。
この「理念研」に参加した人物は、多くの方がすでに故人となっている。経歴や、それぞれの当時の状況などは、巻末の用語・人名解説に簡潔に記したが、実際にどのような人物であったかは、本文から読みとっていただく他ないだろう。
 この巻に収録した「理念研」の前半部分は、「話し合える態度」に始まり、「聴く態度」、「一体について」、「宗教と研鑽の異い」などのテーマが主に採り上げられている。いずれも、これまでには述べられてこなかったような直截的な表現で、ヤマギシズム理念が語られている、貴重な資料であると言えよう。
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 編集中に、読者から、『ヤマギシズム社会の実態』(第二巻収録)についての重要な指摘をいただいた。
 その内容は、第二巻33nの、
「また道を尋ねられても、自分は自分、ひとはひとと、他に関せずの個人主義も、実は社会が自分一人限りのものでなく、必ず何かで他の人との関連があり、人間は相対的であって、吾一人行かんも程度の差こそあれ、帰結するところ、他との保ち合いで人生が有意義になります。」
という部分が、『ヤマギシズム社会の実態・第二版』(一九五七年三月一〇日発行)においては、
「また道を尋ねられても、自分は自分、ひとはひとと、他に関せずの個人主義も、社会に生きる吾々人間の真実の姿ではないようです。
 実は社会が自分一人限りのものでなく、必ず何かで他の人との関連があり、人間は相対的であって、吾一人行かんも程度の差こそあれ、帰結するところ、他との保ち合いで人生が有意義になります。」
という表現(斜線部が付加され、その後改行されている)になっているという指摘であった。
 これを受けて、改めて調べてみたところ、確かに第二版から第五版(一九六九年一〇月一日発行)までは、後者の表現が使われており、第六版(一九七四年六月一日発行)の改訂において、『山岸会・山岸式養鶏会会報・第三号』(一九五四年一二月三〇日発行)及び『ヤマギシズム社会の実態・第一版』(一九五六年四月二〇日発行)における前者の表現に戻り、以後そのままになっていることが分かった。ちなみに、第二版の改訂は、山岸巳代蔵存命中のことであり、あくまで推測に過ぎないが、初版において抜け落ちていた一節を復活させた可能性もある。
 もう一点、本全集第三巻において、山岸が出頭にあたって書いたとされる『自意出頭書』が見つかっていないとしていたが、その後、それが見つかったことも付け加えておきたい。
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 なお、この第五巻の編集中に、「この全集の編集は本当に正確にありのままの山岸巳代蔵の言葉を再現しているのか」という疑問の声をいただいた。山岸巳代蔵の自筆原稿はほとんどなく、活字になったものには誤植のあるものが少なくない。口述記録などは、筆記者が果して一〇〇パーセント忠実に記録しているかという保障はどこにもない。また、互いに相違する記録が存在する場合もあり、両者を併記すると同時に、どちらかを採用するということにならざるを得ない。そうした選択は、あくまで、この刊行委員会独自の判断であり、それに異論のある場合ももちろんあると思う。
 したがって、希望する人には、原本や原資料は閲覧できるよう、準備を進めているし、ひとつひとつの指摘に関しては、改めて調査し、可能な限り正確を期したいと考えているので、疑問点のある場合には、ぜひお知らせいただきたい。


第六巻の編集を終えて 

 この第六巻には、第五巻と併せて、記録として残された「ヤマギシズム理念徹底研鑽会(理念研)」のすべてを収録した。
 山岸巳代蔵はこの「理念研」の中で、繰り返し繰り返し我執について語っている。我執をなくしさえしたら「絶対、摩擦も闘争もない、憎しみも勝ち負け感も起らんの。絶対と言いたい。本当の仕合せはそこから来る」、そしてそれこそ「僕の命。……近い将来に世界中なくなれば、今日すぐこの場で死んでもよい。それがすべてと言いたい。みんな仲良く愛し合って、愛し合っての言葉もない、愛以外にない、無辺の愛」(第七回理念研)と言いきる。これらの言葉に「理念研」に懸ける山岸の念いが端的に表されているように思われる。さまざまな理念やその具現方式も、ここに根ざし、ここに向かって打ち出されたのではなかろうか。
 第九回理念研のちょうど一ヵ月後に、山岸はこの世を去った。ヤマギシズム理念のうち、語ろうとして語らぬままになってしまったこと、すなわち、受け取る方の準備の出来しだい打ち出す予定であったことは、まだまだたくさんあったのかもしれない。何がまだ語られずにいたのかは知る由もない。
 しかし、残された資料だけでもかなりなものがある。そこから山岸巳代蔵の思想、ヤマギシズム理念を探っていくことは可能であろう。「理念研」の記録と共に、実顕地について書かれた『金の要らない楽しい村』(本全集第三巻所収)、『ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況』(三〜四巻)、『ヤマギシズム生活実顕地について――六川での一体研鑽会記録から』(四巻)、および実顕地養鶏について語った『ヤマギシズム社会式養鶏法について』、『岡山での研鑽会記録』(四巻)等を併せて読んでいくことによって、山岸の描いていた理想社会の姿が垣間見えてくるのではないだろうか。また事件後ヤマギシズムを広く世間に呼びかけたものとして『法政産経Z革命特講に向けて』(四巻)があり、これも「理念研」の内容と深く関わっている。
 ここで、ひとつお断りしておきたいことがある。この「理念研」の記録はすべて筆記録に基づいて編集したものである。録音でもなく、速記法による記録でもない、耳で聞いたものを文字化した記録である。当然、話すスピードと、聞いて書くスピードとの間にかなりのズレが生ずることは避けられない。そのため、一部の話が飛んでしまったりして、分かりづらいところが生じている。また、同じ場を記録しているにもかかわらず、筆記者によって異なる部分を記録をしている箇所があり、二つの記録を組み合わせて意味の通ったものとするため、多少の言葉の補足を行ったところがある。それも難しい箇所については、不本意ながらそのまま記すにとどめたので、意味の判読しかねる部分もある。これらについては、『第五巻の編集を終えて』でもお断りしたことではあるが、もう一度繰り返させていただきたい。もしそれらの補足等(主にカッコ内におさめてある)に誤りがあるとお気づきの場合は、ぜひとも刊行委員会までご指摘いただきたい。


今後の刊行予定について

 第七巻以降は、すべて未発表・未整理の草稿類等の編集となるため、それらの整理・分類・調査・確認及び、入力・校正・編集など、刊行に至る作業がこれまで以上に煩雑で手がかかることが予想される。したがって、第七巻の刊行時期は未確定であるが、二〇〇七年の秋頃をめどとしたい。
 内容は、山岸会事件後の一九五九年秋から一九六〇年春頃まで、山岸が出頭の機会を窺っていた時期に書き始めた、『正解ヤマギシズム全輯』の草稿類を中心に、同時期の未発表資料をまとめていくつもりである。


第七巻の編集を終えて 

本巻は、『正解ヤマギシズム全輯』の草稿とそれに関連した文書や書簡を元に構成したが、冒頭にも記したとおり、それらの原稿は山岸巳代蔵直筆のものもあれば、口述筆記された原稿もある。また、これらの中には、記録者の元原稿が残されているものもあれば、元原稿が散逸して筆写された二次原稿しか残っていないものもある。収録されたそれぞれの文書がそのどれに属するかは、各文書の冒頭脚注に注記しておいた。
山岸直筆の草稿のほとんどはB5判のわら半紙に鉛筆で書かれている。ただし順序立てて書かれたものではなく、頭に描かれた全体構想の中でその時々に思い浮かんだことをそのまま書き記すというふうな形になっており、同じような表現が何回も繰り返されたり、途中で中断して別のテーマに移ったりしている。また行の途中から別の行や欄外へ、あるいは別紙へ矢印でつながれていたりして、そのつながりが正確に読み取れないものもあった(口絵写真参照)。このようなものは、刊行委員会での検討によって、一応こうつながるのではないかとの推測をもとに構成した。見出しもついていないものが多かった。分類も刊行委員会で判断した。
このように草稿は、将来の『正解ヤマギシズム全輯』出版に向けての初期準備段階のものであるが、それだけに山岸が自分の頭の中にある構想をどのように表現すればよいかと推敲している様子が読みとれるのではないだろうか。永年にわたってあたためてきた、人間生活はもとより、宇宙万般の現象界・無現象界についての草案をみんなの前に一日も早く届けたいという思いも感じとれるような気がする。そうした筆者の著述過程に添うために、重複して書かれた文書もそのまま採録し、また理解しがたい文面や表現も概ねそのままとした。同じ趣旨で、表記についても、山岸直筆のものは出来る限り原文そのままを活かそうとしたため、これまでの巻とは異なる表記になっている場合も少なくない。たとえば「いう」は「言う」ではなく「云う」と表記されていたり、「研鑽」が「けんさん」とも表記されるなど、統一されていない表記をあえて原文そのままにしておいたところが多い。ただし、副詞については、読みやすさを考慮して、文意を損なう恐れのないかぎりにおいて「ひらがな」に改めたり、ひらがなやカタカナが多すぎて読みにくい箇所では多少漢字に変えるなどした点もある。さらに、カギ括弧をつけて読みやすくしたり、編集で語句を補った箇所もあり、補った語句はヤマ括弧に入れておいた。
先に記したように、口述記録の元原稿がなく、二次原稿だけのものもある。さらに、その二次原稿が二種類存在するものがあり、それが同じ元原稿から写されたものか、二次原稿をさらに筆写した三次原稿なのか、不明なものもあった。それら二種類の筆写原稿の間に多少の違いがある場合、そのどれを採用するかは、全体的な流れや繋がりから推量して、刊行委員会において判断させてもらった。今後、読者や研究者のみなさんのご意見・ご批判をいただき、より山岸巳代蔵の言わんとする意に近づけられれば幸いである。
本巻に収録した文書はすべて、山岸巳代蔵が一九五九年七月に山岸会事件で指名手配されたあと、翌年四月に自意出頭するまでの期間に記述・記録されたものであるが、その間全輯の草稿以外にも幾つか重要な文書が書かれており、本全集第三巻に収録済みである(『愛和―山岸氏よりの第一信集より』、『第二信』、『盲信について』、『山岸会事件雑観』、『声明書』等)。それらも併せて本巻を読み進めていただければ、ヤマギシズム(運動も含めて)の総合的な理解・究明に役立つと思う。
さて、全集の次の巻は一九五八年に行われた「愛情研鑽会」の記録を予定しているが、さまざまな検討課題があり、明確に日時を区切ることはできない。一応、来年中に、ということでご了解いただきたい。
        ・ ・ ・ 
最後に、この全集作成に協力をいただいている多くの方々に改めて深く感謝いたします。これからも、情報や資料の提供、ご意見ご感想など、お寄せいただければ幸いです。

山岸巳代蔵全集刊行委員会
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