第六巻について

 山岸巳代蔵全集第六巻には、第五巻に引き続き、「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」(理念研)の後半にあたる、第五回(一九六〇年一〇月)から第九回(一九六一年四月)までの記録及び、同時期のその他の記録類をまとめて収録した。第四巻に収録した資料類とほぼ同じ頃のものである。
 この時期は、山岸会事件(一九五九年七月)後、一時沈静化していた山岸会員達の活動が再び全国で活発になり、それまでとは違った展開を見せ始める頃にあたる。ヤマギシズム特別講習研鑽会(特講)も、約一年の休止期間を経て一九六〇年八月に東京で行われたのに引き続き、北海道で「話し合い特講」が始まり、名古屋でも連続的に開催されるようになってきた。一九六一年三月には、三重県津市で「ヤマギシズム法政産経特講」が開催され、新しい理想社会建設に向けての社会革命・人間革命を提唱するヤマギシズム≠よりクローズアップして一般社会に向けて訴えていくような方向へと進んでいく。東京特講前後の運動をきっかけとして、思想研究を専門とする学者達の間にも山岸会の存在が知られるようになり、ヤマギシズムという思想を対象とする研究会が発足するといった動きも起き始めていた。
 一方で、各地で運動を進める会員自体の中に、当時脚光を浴びつつあった農業共同化の動きと、ヤマギシズム理念による一体化とを混同したり、そもそもヤマギシズムに対する理解が不十分であるというような状況も存在し、山岸会事件以後、各地の山岸会員達は、それぞれの受けとっているヤマギシズム理解によって、それぞれの方向へと進んでいこうとしていた。こうした会員に向けて、正しくヤマギシズムを理解する機会を提供するような動きも生じている。
 そうした中、一九六〇年一〇月以後、ヤマギシズム生活実顕地発足への動きが具体化していく。
 一体生活を実践する生活体としては、百万羽≠ゥら発足した三重県春日山のヤマギシズム生活実践場等が既に始まってはいたが、ヤマギシズム生活実顕地はそれとは違って、「現状そのままから」生活すべてを一つにして理想社会を目指していこうという試みであり、和歌山県有田郡の六川≠ネどで、一体経営から一体生活への発展が画策されていたが、一九六一年一月末に、兵庫県加西市のヤマギシズム生活北条実顕地がその第一号として誕生、その後、各地に実顕地が誕生していくことになる。
 それと同時にヤマギシズム社会式養鶏法の構想も発表され、当時、日本の中で養鶏産業の先進地として栄えていた名古屋地方の山岸会員達に向けて、一九六一年四月に最初の発表会が持たれた。
 こうした様々な動きの中にあって、「理念研」は、約十ヵ月にわたって続けられていく。その参加メンバーは、当時ヤマギシズム運動で中核を担っていたり、会員間に影響を持つ人々であった。運動を中心的に進めていくメンバーの中でこそ、真のヤマギシズム理解や、一体≠ニなっての実践が必要不可欠だと山岸巳代蔵は思っていたようである。
 本当に「ひとりも不幸な人のない社会」を作るために、まず第一に進めなければならないと山岸が考えていたのが、「考え方の革命」から始まる「人間革命」であった。世の中のあらゆる紛争の元はいったい何かと考えた時、夫婦間や仲間同士、そして同じ人間同士の中での意見の違いや好き嫌い感情の食い違いからの対立、ひいては思想・信条の違いによる対立や敵視がその根本原因であり、それを克服しない限り、妥協してたとえ一時形の上では平穏が保たれたとしても、またいかに技術が進歩し物が豊富になったとしても、決してみんなが幸福になる方向には進まない。考え方の食い違いがあっても不和や対立が起ることなく、研鑽によってみんなが納得する結論を見出し実践していくものこそが、ヤマギシズム運動である。このような、山岸の強い、そして熱い思いが、一連の「理念研」のやりとりの中には色濃く見られる。ヤマギシズムの考え方の根本に、「一体」「無我執」といった、心の世界のあり方を最優先する考え方が見てとれるのである。
 山岸は一九六一年五月四日、突然、帰らぬ人となった。岡山で実顕地づくりを目指し、本当の仲良しとはどのようなものかと考える研鑽会の途中で倒れたのである。そして、「みんな好きや、仲良ういこうな」という言葉を残して世を去った。

 さて、この巻には、「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」第五回〜第九回の記録の他に、その当時に行われた研鑽会等の記録のうち、山岸夫妻の住んでいた三重県津市の「三眺荘」で行われたものや、名古屋の山岸会員加藤巷二宅で行われたものなど、これまで未収録のものや、一般会員向けに行われた「ヤマギシズム理念研」参加者へのメッセージ、その他の口述録なども収録した。一つ一つについては、本文中で紹介しているので参照していただきたいが、それぞれ、当時の息吹が感じられる興味深い資料である。また、杉本利治が当時の山岸の発言を中心に抜き書きした記録が残されており、それらを「杉本ノート」と題して収録した。
 参考資料としては、『「ヤマギシズム生活研究・山岸会式養鶏研究後援会」趣意書(案)』、『山岸会運営懇談会案内(草稿)』、『ヤマギシズム政治専門研鑽会趣意書』、『第一回ヤマギシズム理念研ご案内』、『人事についての提案』を収録した他、巻末に、山岸没後に杉本利治がまとめた『ヤマギシズム実顕地養鶏部用養鶏法』を収めた。これらも、当時の背景を知ることの出来る資料であり、併せて読んでいただきたい。

二〇〇六年一二月
山岸巳代蔵全集 刊行委員会

         
 

 

第六巻目次より


第六巻について

◆〈第五回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

◆〈第六回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

◆〈第七回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会  

◆〈第八回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

◆〈第九回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

◆「理念研」開催当時の記録から
 津での研鑽会記録
 「ヤマギシズム理念研」打合せ
 我抜き・割り切りについて
 第一回ヤマギシズム理念研の集いの友へ
 第九回理念研後の記録
 ヤマギシズム社会式養鶏法発表会準備研
 名古屋加藤宅での研鑽会
 〈参考〉「杉本ノート」より
  ・名古屋加藤宅での理念研より
  ・「ヤマギシズム紙発刊に当たって」など
  ・〈参考〉実顕地造成研鑽会より



 


◆ 第六巻関連の資料から
《資料T》「ヤマギシズム生活研究・
    山岸会式養鶏研究後援会」趣意書(案)
《資料U》山岸会運営懇談会案内(草稿)
《資料V》ヤマギシズム政治専門研鑽会趣意書
《資料W》第一回ヤマギシズム理念研 ご案内
《資料X》人事についての提案

第六巻の編集を終えて
凡例
ヤマギシズム実顕地養鶏部用養鶏法
山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録
用語・人名解説
索引